冒頭より

 第一話

 透明なはずの水に混ざる朱のような違和感。
 どこかがおかしい。
 憲兵隊から送られてきた調書を読んだ紺が抱いた感想は、違和感だった。
 紺の主である、鞍馬の机に山と積まれた調書の束。調書に埋もれるようにしていた紺が顔をあげると、時を同じくして鞍馬も顔を上げる。
 鞍馬は、ふだん、真面目に調書を読まない審問官だ。やる気のない彼からは想像もつかない険しい表情を面に浮かべていた。

 紺は、海に浮かぶ五つの島の上空につくられた空中都市、イスクルの審問庁に勤める憲兵隊員だ。
 審問庁とは、事件を精査し、裁判にかけるか否かを判断するところである。
 海に浮かぶ五つの島と空に浮かぶ鉱物でつくられた空中都市の国、コハク。日々発生する事件は、憲兵隊によって捜査され、そして調書が作られる。その調書をもとにして、身柄を送られた犯人たちを精査し、裁判にかけるかどうかを決める。それが審問官の仕事だ。
紺は憲兵隊員であるが、通常の憲兵隊員とはちがう。審問官である鞍馬を主とし、彼を補佐することが紺の仕事だ。
 今回、鞍馬のもとに送られてきた事件の罪名は、殺人だった。
 調書とは憲兵隊員が現場を仔細にしらべあげ、証拠や取り調べの内容を書き留めたものだ。鞍馬は調書をまともに読んだためしがない。審問官としてはありえない態度ばかりで、毎日紺は手を焼かされてばかりいる。それなのに優秀であるからくやしい。
 そんな鞍馬だが、珍しく執務室の机にすわり、調書に目を通していた。さすがに殺人罪ともなれば、普段の独自の姿勢で取り組むわけにもいかないのだろう。
 彼の艶やかな長い黒髪が、調書のうえに影を落としているのが見える。彼のまわりは、さまざまな証拠が書き留められた調書の山で埋まっていた。机の端に椅子を寄せてきて座っている紺のところにまで迫る勢いだ。軽微な事件では、こんなにも調書の束が積み上げられることはない。
 彼の鋭い切れ長の目が、なにかを考えるかのように宙をさまよう。しばらくして、顔をあげていた紺に気が付いたらしく、わずかに険しかった表情をゆるめた。
「……犯人が送られてくるまでにはもう少し時間があったか」
「はい。こちらに送るのにすこし手間取ったとのことで、予定よりかは一刻ほど遅くなるかと」
「そうか……」
 鞍馬はひくくつぶやくと、ひらいていた調書を閉じ、山に積み上げた。わずかにできた隙間から、濃い飴色の机が見える。
 鞍馬はさらにもうひとつの山から、調書の束をひとつとりあげた。それは紺も目を通していたものだったので、なにが書かれているかは理解している。
 鞍馬が手にしている調書は、おもに殺人事件の現場を調べあげたものだ。
 事件が起きた時間帯はおそらく昼間、家に誰もいないときを狙って起きたものだと思われた。殺されたのは大工たちをまとめて建物などを作る「作事屋」の頭を務めていた、永山という男だ。
 発見されたときはあおむけの状態で倒れていた。死因は刺殺で、現場には犯行に使われていたと思われる短刀が転がっている。
「……現場を見て、なにか思ったか?」
 鞍馬が調書をめくりながら、静かに問いかけてくる。調書がきてすぐに意見をもとめてくるのは珍しい。紺は姿勢をただした。
「はっきりとしたことは言えませんが、なにかがおかしいと思いました」
「そうか。お前も思うか」
 紺がおかしいと感じているのは、なかば勘のようなものなので、確たる証拠はない。だから鞍馬に笑われて終わってもおかしくはなかったが、彼も紺のことばにうなずいてみせたのだ。どうやら紺が感じていたおかしなものを鞍馬も感覚でとらえたらしい。
 鞍馬の長い指が、ひらいた調書の一部分を指さした。そこには、現場に残されていた遺留品などが記されている。
 鞍馬は、床に広がっていた血液について記されている箇所を指していた。
「一番おかしいと思わせているのはここだろうな」
「……血液の量ですか」
「そうだ。刺されたこともあり、たしかに床には血がひろがっていた。だが量がすくない。刺された箇所も、即死する位置ではなかった。だが、他に決め手となる死因がない」
 鞍馬のよどみない説明に、紺のなかでぐるぐるとくすぶっていたものがほどけ、何に違和感を抱いていたのかがはっきりしてくる。
 同時に、脳裏に鮮やかによみがえるものがあった。
(……お父さま!)
 鉄錆びた匂い。机に座ったままこと切れた父の姿。机に投げ出されていた、見覚えのない短刀。
 あのときと同じ、違和感だ。
「……紺?」
 いぶかしげに鞍馬が紺を呼ぶ声に、紺は我にかえった。鞍馬は紺を呼ぶときと同じような、不思議そうな表情を浮かべている。どうやらすこしぼうっとしていたらしい。
「すみません。すこし考え事を」
「考え事はまあ良いんだが……大丈夫か? 顔色が悪いようだが。あまり見慣れない事件だ、無理して付き合わなくても良いんだぞ」
 紺は鞍馬の従者となってから、まだそこまで日は経っていない。殺人事件も扱ったことはあるものの、ほんの数回だ。そんな紺を鞍馬は気遣ってくれているのだろう。
 不器用だがにじむやさしさに、紺はわずかに微笑んだ。
「大丈夫です。すこし別のことを考えていただけなので」
 あの事件のことを思い出すときは、いつもこうなのだ。
 紺が憲兵隊員となる最大のきっかけとなった事件。紺がまだ学生のとき、紺の父が自殺したと思われる痛ましい事件だ。
 紺はすうと息を吸って、むりやり気持ちを切り替える。
 今は、この事件に集中しなければならない。勤務が終わってから、あの事件のことはゆっくりと考えればいいのだ。
「……ならいいが……」
 鞍馬はそれでもどこか釈然としないようすで、調書へともどっていった。

 * * *
 
 審問庁にある取り調べ室は、小さな部屋に机と椅子がならべられただけの、質素な部屋だ。部屋の外は、審問庁の歴史ある黒塗りの壁と廊下なので、部屋にはいったときは、違う建物に来たのではないかと思ったりもする。
 紺が取り調べ室に入ってから少し経って、犯人の男が監視役の憲兵隊員に連れられてくる。
 男は紺とそんなに年の差はない、二十七の若い男だ。短く刈り込んだ髪の毛に、がっしりした体つき。いかにも空中都市と下の島を行き来する男らしい。
 男は紺を見て鼻をならすと、席にすわった。
「あんたが取り調べする審問官?」
 口元に笑みをうかべ、男が問いかけてきた。紺を小馬鹿にしたような態度にすこしむっとするも、感情を隠したまま、否定してみせる。
「いいえ。あなたを取り調べるのは……」
 紺がそこまで口にしたところで、取り調べ室の戸がひらいた。ふりかえると、鞍馬が厳しい表情で、男をにらみつけるようにして入ってくるところだった。
 口元に軽薄な笑みをうかべていた男の表情が、ぴしりとかたまった。厳しい表情で取り調べ室に入るのは、鞍馬のいつものやり方だ。気味がいいと思いながら、紺は席につく。鞍馬もすぐに、男の正面へと座った。
「では、話を聞かせていただきます。まず名前を教えてください」
「……泰良です」
 鞍馬はいつもの取り調べとおなじく、名前や住まいの確認をして、黙秘についての権利などの説明を行ったところで、本題にはいっていく。
「では、当日についてのお話を聞かせてください。当日朝は、何をしていたんですか?」
 鞍馬の問いかけに、男、泰良はあらかじめ話すことを用意していたかのように、すらすらと話し始めた。
「あの日は仕事が休みだったので、朝、いつも行くところに顔を出してから、永山の家のまわりを調べて、家に入る機会を見ていました」
「ふうん……いつも行くところは、あなたが所属していた抵抗集団のこと?」
「……そうです」
 泰良は、集団のことを聞いて、すこし口ごもる。大切な、そしてよりどころのある仲間たちのことを思ったのだろうか。
「そのあと、事前に調べていたとおり、永山以外誰もいなくなったので、家の中に忍び込みました。それから書斎に入っていた永山を後ろから狙おうとしたのですが、すこし前に見つかってもみ合いになり、彼が正面を向いたときに、思いきり刺しました」
「刺したのは一度?」
「……よく覚えてないんですが、そうだと思います。彼が倒れたあと、手にべったりと赤い血がついたのを見てから、記憶が曖昧なんです」
「……そう」
 泰良が所属していた抵抗集団とは、主に下の島の者たちが上の空中都市のものたちに対抗するための集団だ。
 下の島と上の都市では、貧富の格差がはげしい。そのため、かろうじて上に来ることができた下の島の民たちは、なんとか下の島の現実を伝えようと、抵抗集団を作り、各地でさまざまな事件を起こしている。
 集団も組織となるくらいの大きなものや、若者たちが寄り集まったちいさなものまで、さまざまだ。憲兵隊員たちは、彼らを止めるためによく動いていると聞く。
 今回殺された永山は、空中都市でも有数の作事屋の頭だ。とくに上で使われている、宙にうかぶ鉱石をつかった建物や橋づくりを得意としている。
「……どうして、彼を殺そうと思ったんですか?」
「それは……」
 泰良はふたたび口ごもった。紺がふたりの会話を書きながらそっと様子を見ると、口元をほんのりと上げ、どこか高揚したかのような表情を浮かべている。言葉につまっている訳ではなさそうだ。
「彼を殺すことが、俺たちにとってのあらたなのろしの一歩だからです」
「のろし?」
「そう。彼は上に住んでから、ずっと下には目もくれなかった。俺たちが貧しいことをしっていて、何もしないというのは重い罪だ。だから俺たちは、裁きをくだしたんです」
 泰良は動機を話しながら、興奮しているかのように、かたくこぶしを握りしめていた。己のなかに植え付けた信念に酔いしれているのだろう。そういった男たちは、腐ったほど目にしてきている。鞍馬は紺よりも多く、そんな話を聞いているだろう。あくまでも冷静に彼の話を受け流している。
 鞍馬は抜粋してきた調書をめくった。今度は武器について書かれた頁を見ているようだ。
「今回、あなたは短刀をつかっていますね。これはどこから仕入れたものですか?」
「……えっ、なんですか?」
 いままですらすらと答えていた彼が、驚いたかのように聞き返してきた。武器について聞かれることは想定していなかったのだろうか。もしかすると、動機を話すときに興奮していたせいで、鞍馬の話が聞き取れなかったのかもしれない。
 鞍馬もそう思ったのだろう、ふたたび同じことを聞き返す。
「この短刀はどこから仕入れたものですか?」
「えっと、それは……」
 泰良は言葉につまっているようだった。紺が彼の表情をうかがうと、明らかにあせりを浮かべていて、視線が宙をさまよっている。
 ちらりと鞍馬に目線をむけると、彼も一瞬だけ紺に視線をむけてきた。強い、意思をもった目。
 隠している。
 紺も鞍馬とおなじことを考えていた。紺は目だけでうなずくと、ふたたび手元へと目を落とす。
「それは、仲間が仕入れてきました。俺は借りただけです」
 いままで流暢に話していた泰良が、口ごもりながらも答えた。鞍馬は何事もなかったかのようにそうですか、とあっさり受け流し、次の質問にうつる。
 鞍馬がさりげなく、調書のかどを折っていた。


 * * * *


 第三話より

 誰もいない洗面所で、鞍馬は鏡をのぞきこんでいた。鏡には、目つきのわるい男の顔がうつっている。
「はぁ……」
 手を洗った鞍馬は、思わずため息をついていた。首元には、くっきりと赤い痕がついている。何が起きたのか、誰にも言うつもりはないが、しばらくはおかしな噂が流れそうだ。服の襟を立てると、赤い痕は束の間、見えなくなった。
 いつの間に紺は過去の事件を調べていたのだろうか。鞍馬は記憶をたどると、少し前の夕方くらいから紺のようすがおかしかったことを思い出す。あの頃に紺は過去の調書を取り寄せていたのだろうか。
 洗面所から出た鞍馬は、ふらふらと廊下を歩いていた。廊下のつきあたりには、踊り場のようなところがあり、椅子がいくつか置かれて休めるようになっている。鞍馬は壁のつきあたりまで歩き、窓から外をながめた。
 窓の外は、いつもとかわらない街のようすがひろがっていた。審問庁のまえに、犯人を運ぶための馬車が止まっており、何人かの憲兵隊員が待機している。
 審問庁からすこし離れたところでは、他の庁舎の職員と思しき市民が、足早に歩いていた。いつものかわらない光景だ。
 ここから見る光景はあの日も今も変わらない。日常に隠れるようにして、事件と向き合う非日常の現実がひろがっているのだ。
 紺を従者にした理由は、いまになってもはっきりと説明できないままだ。だが、あの父の娘が憲兵隊員となって働いていると聞いたとき、どうしても会いにいかなければならないと思った。
 そして会いにいったとき、紺の審問官を心底憎む目に、つよく惹かれるものがあったのだ。自身の父親を自殺と精査した審問官にたいする不信、そして拒絶。
 いまでも忘れることはできない。
 鞍馬は窓のそとをじっと見つめると、窓枠からそっと手を離した。