表部分冒頭

 階段に足を掛けると、みしりと何かが軋んだ音がした。ひびでも入っていたのだろうか。ジェイミー・アンソニーは思わず首を竦める。
 ここ、ジェイミー達が暮らす魔法学園α・ミーミル学園はいつ建てられたのか分からない古い建物ばかりだ。彼女達水の魔法を操る者達が暮らす寮も、古ぼけた石の壁にひびがはいっている。それは学園に入った当時からあったものもあるが、おそらくは少し前に起きた事件によって出来たものがほとんどだろう。
 ジェイミーは首を竦めたままそっと階段を下りていった。階段下に敷かれている敷物は、生徒達の靴裏の泥ですっかり汚れていた。昔は常に手入れがされていた、長い毛足の敷物だったのだが。
 それもこれも仕方が無い。全ては少し前に起きた、卒業年次の生徒たちによる反乱が原因なのである。
 ジェイミーは壁に少しでも身を隠すように身を寄せ、入り口へと進む。少しだけ廊下を進めば、すぐに寮の入り口だ。
 だが――。
「そんな格好して。どこに行くの?」
 ジェイミーの後ろから掛けられた声に、彼女は思わずびくりと身を竦めた。しばらく固まった後、おそるおそる首だけを後ろに向ける。
 そこには、ジェイミーが一番警戒していた、水の魔法を扱うグループのリーダー、フレデリック・ハルフォードの姿があった。まあ、声からして間違いなくそうであったのだが。
 そうだった、後ろという可能性もあったのだ。壁に寄りかかりながら優雅な笑みを浮かべているフレデリックの姿を眺めながら、ジェイミーは大きくため息をついた。

「どこに行こうと、私の勝手でしょ」
「そうはいかないよ。外には魔物がいっぱいだもの」
 かろうじて返したジェイミーの言葉に、フレデリックは事も無げにそう告げた。彼の言葉は嘘を付いている訳でもなく、本当のことであるのが余計に憎らしい。
 彼女達の学園は、優秀な魔法使いを育てる学園として、国の期待を受けていた。彼女達自身も、優秀なそれになれると期待して日々切磋琢磨していたのだ。
 だがそれは、少し前に起きた、生徒たちの反乱によって崩れることになる。
 ジェイミーも生き残るので精一杯だったので、その反乱が誰によって起こされたのか、どうしてそうなったのかは分からない。だが二ヶ月もの間続いたその戦争は、教師達とそして首謀者とみられる三年生達が全て死亡し、ジェイミー達も多数の死亡者、負傷者を出した悲惨なものとなった。
 さらにその反乱は大きな禍根を残した。主要施設の崩壊の他、どんな魔法が掛けられたかは分からないのだが、学園内を魔物が徘徊するようになってしまったのだ。
外部の者に助けを求めようにも、何故だか国はこの学園一帯を魔法で隔離して、立ち入り禁止区域に設定してしまったので、不可能である。
完全なる孤立無援状態の中、ジェイミー達生き残った生徒は日々を生き残るために、覚えたその魔法で日々あちこちを駆けまわっているのだ。
 そんな日々を送っている中、ここ最近何故だか魔物の出現が減ったので、ジェイミーはかなり気になっていたことを探ろうと寮から出る途中だったのである。
「それでも、どうしても行く必要があるの」
「どうして?」
 フレデリックはジェイミーの言葉など意にも介した様子を見せず、愉しそうな笑みを浮かべていた。彼はそうやって愉快犯のような面を見せているが、実際はそれだけでないことをよく知っている。
 彼は曲がりなりにもこのグループのリーダーを務めているのだ。うかつなことを言って自ら転ぶ訳にはいかない。ジェイミーは必死で頭を回転させた。けれども大して良い案なんぞ浮かんでこない。元々こういった、頭を使うような仕事は苦手なのだ。
「最近になってようやく落ち着いたから、研究室に置いてきた研究書のことを思い出したの。あれはどうしても必要なのよ」
「そうなの」
 フレデリックは笑顔のまま、何かを思案するかのように素早く視線を動かす。そういった普段の動作に隠されるように動く仕草が、いちいちジェイミーの背筋を冷やりとさせるのだ。
「まあ、君は熱心に研究をしていたから、出かけて行きたい気持ちも分かる。でもねぇ、君は何かあるとすぐに手がでるから――」


 裏部分冒頭

 カインの横では、ジェイミーがそろそろと入り口から外に出ようとしているところだった。そんなにこそこそと隠れて、一体どこに向かうのだろうか。
 まあ、そうは言っても、彼女が向かうところなんて分かり切っていたのだけど。
 ジェイミーが完全に視界から消え去った時、少しだけ寂しい気持ちになる。それを知ってか知らずか、フレデリックがさて、と口を開いた。
「こんなところで良いのかな?」
「何がですか」
「何だろうねぇ」
 フレデリックは何かと続けることはせず、にやりと笑っている。その笑みに、無性に心が荒む気がする。
「お願いしていた調査をやってくれないのは本当でしょう」
「ごめんごめん。途中までできているから、すぐに仕上げるよ」
 フレデリックはのんびりとそう告げた。そののらりくらりと何かをかわす態度はいつものものなのだが、それをやられる度にカインは無性に怒りが沸き起こってくるのだ。カインは大きくため息をついた。
「まあ、何でもいいんですけどね。そうやってジェイミーにいちいち言い寄るのはやめてくれませんか?」
「言い寄る? 僕は心配していただけだけど」
「またそういう嘘を」
 昔から、カインは彼とまともに会話を続けられた試しがない。それでも、まだできている方なのだろうと、他の人を見ていて思う。
 カインは、フレデリックとジェイミーが話しているところを見る度、あの事件のことを思い出してしまう。思い出したくもないが、思い出さずにはいられない事件なのだ。
 その事件は、まだ学園内で戦争が起こる前のこと、カイン達が初めての研究課題に取り組んでいた時に起こったことだった。
 ある日突然、カイン達がいた研究室を訪ねてきていたジェイミーが、怒り狂っていたのだ。カインも理由は分からなかったのだが、それはすぐに判明した。
 カインの研究結果の中から、ジェイミーが熱心に打ち込んでいた研究書が見つけられたのだ。一言一句間違いのないそれは、状況的にはカインが彼女のそれを盗んだと思われてもおかしくなかった。事実、ジェイミーはそうと思いこみ、他にカインがなんと言っても言い訳としか受け取られなかったのである。最後にリボンを投げつけられ、彼女とはそれっきり。
 だが、本当にカインには覚えが無かった。彼女が去った後、珍しくフレデリックが研究室を訪れたことで、誰が本当の犯人なのかはすぐに分かったのだが。
 あの時のいたずらが成功した子供のように輝いたフレデリックの表情は、今でもくっきりとカインの脳裏に残ってしまっている。
「嘘? 覚えがないね」
 フレデリックはさも心外だと言うように、肩をすくめてみせた。完全にそらぞらしくしか映らないのだが。昔から何故だか、彼は異常なまでにジェイミーに執着していた。
 ジェイミーだけではない。彼が一体どんなものを背負ってこの学園に来たのかは分からないが、学園内での奇行ぶりは群を抜いていた。
 とにかく美しいものが好きらしい。よくそう言っては、色々な「美しいもの」を集めていたのだ。会話も今のように全く成り立たない状況だったが、唯一魔力だけは人一倍の強さだったので、こうして水のグループのリーダーとして祀り上げられている状態なのである。
「別に覚えがなくてもいいですよ。ジェイミーは物じゃないんです。あなたの収集物には混ぜられないんですよ」
「そんなの分かってるよー。でも彼女は色々かわいいからさ、ほら」
「全く。あなたがどうして道化を演じているのかは分かりませんがね、彼女はこちら側の人じゃないんですよ」
「道化、ね」
 フレデリックはちらりとカインへ何かを伺っているような視線を向けた。変人な彼が何を考えているのかは、カインにも分からない。ただ、彼はわざとそうして道化を演じている、ということだけは、何となく分かっていた。
 今まではそれを正面から告げた事は無かったのだが、このまま野放しにさせる訳にはいかない。そう思っての言葉だったのだが、ふいと彼の持つ雰囲気のようなものが変わった。一気にその場の温度が下がったかのような感覚を覚える。
「道化なのは君じゃないの?」
「え?」
「何も知らない彼女に真実を教えず、あまつさえこうしてひとり行かせてしまう君こそさ。……道化って言葉は似合うんじゃない?」