冒頭より

 しまったと思った瞬間、すでに目の前は真っ白に染まっていた。
「うわっ!」
 庭に閃光が広がる。手がびり、と熱い感触につつまれて、風の魔法を操っていた生徒、ディオン・カスタニエは思わず顔をしかめていた。魔法を練習しようと思っていたのだが、失敗して暴発させてしまったのだ。
 視界が奪われてしまったので分からないが、ディオンが佇む庭には誰もいなかったはずだ。それだけがせめてもの救いである。
 しばらくして、ようやく視界が開けてきたので、ディオンは周りを見回した。王立魔法学園α・ミーミル学園の校舎にほど近い庭には、やはり誰の姿もない。花壇には丁寧に植えられた花が揺れていて、穏やかな風が吹き抜ける。魔力を暴走させてしまったことが嘘のようだった。自然に吹き抜けるその風は気持ちよくて、ディオンは安堵にほうと息を吐いた。
 少し落ち着いたところで、掌にずきりと痛みがはしった。両手を開いて見おろすと、そこには大きく火傷が広がっている。一部は黒く焦げていて、惨状に思わずため息をついていた。
 ディオンはここ、ハノーヴァ王国でも一、二を誇るα・ミーミル学園で、風の魔法を学んでいる生徒だ。学んでいる魔法は体内にある魔力を引き出し、自然の風を制御するものが主なものである。
 ディオンは持っている魔力が高いのが悩みだった。
 魔力というものは生まれつき人の体に備わっていて、人によって能力はそれぞれ違うものだ。備わる魔力によって、学ぶ魔法なども変わってくるのである。
 多すぎる魔力は、普通には制御することが難しい。ふとしたことで暴発したり、魔法を使おうとすると一気に魔力が流れたりして失敗するのである。
 この学園に来て少しは制御できるようになってきたものの、それでもふとした拍子に失敗してしまうのだ。魔力は生来の能力に頼ることもあり、こうして能力が制御できないと悩む生徒は少ないこともまた、ディオンの悩みだった。
 黒ずんだ手を見下ろしていると、草を踏み分けてくるような足音が響いて、ディオンははっと顔を上げた。
 ディオンひとりしかいなかった庭に、壮年の男が姿を現していた。
 盛大に額にしわの寄った教師、ハンス・バルテンの顔を見て、ディオンの行く先に暗雲が立ちこめたのを知る。
「今、部屋の中にまで火花が飛んできたんだが。やったのはお前か?」
「……はい」
 どうやらディオンが暴走させてしまった魔法が、ハンスの研究室にまで飛んでいったらしい。
 なんという不運。常日頃からディオンはハンスに目を付けられているのだ。今日もまた何かと文句を言ってくるに違いない。
「お前は人よりも魔力が高いんだから、むやみに使うなと言われているのは分かっているんだろう?」
「……はい」
 ディオンは反抗したいのをぐっとこらえ、口をつぐんだ。
 ハンスは水の魔法を教える教師なので、普段あまりディオンと関わらない。だが事あるごとにディオンに突っかかる。どうしてなのか、理由は分からない。ディオンよりも魔力を持ち、暴走しやすい生徒も同じように目を付けられていることから、魔力の高い者に目を付けているのかもしれない。
 ディオンが黙りこくっているのを見てか、さらにハンスの眉間に深い皺が刻まれた。
「そうやって、お前は黙ってればこの場をやり過ごせるとでも思っているのだろう?」
 その通りですと頷きたくなるのを黙ったままこらえる。どうせ何か口にしたとして、それをあげつらうのは目に見えているのだ。
 ディオンは何も言わなかったが、表情に反抗の色が出ていたのだろう、ハンスの口元に歪な笑みが刻まれた。
「まったく、これだからアルベールのところはろくなやつがいないな」
「ッ」
 ハンスの言葉に、さすがに我慢も限界が近づいていた。耐えると決めていたのに、ディオンが教わっている教師、ジスラン・アルベールの事を持ち出されては黙っているのも難しくなってくる。
 自分の事だけならば良いのだが、他の人、しかも親しくしている先生ならば、我慢ができなくなりそうだ。
 ディオンがハンスの胸ぐらを掴みそうになった時、庭に人影がまたひとつ、増えた。
 ハンスの向こう側に入ってきた男の姿を目にして、勢いよく踏み出そうとしていた足が止まる。
「私の生徒に、何かありましたか?」
 庭に足を踏み込んできたのは、今まさに話題となっていた教師、ジスラン・アルベールだった。
 彼は涼やかな声でハンスに話し掛けてくる。歪んだ笑みを口元に浮かべ、ディオンをあざ笑うかのような態度を見せていたハンスの表情が、一瞬にして硬直した。
「……アルベール先生」
「そこで魔法の練習をするように伝えたのは私です。何かご迷惑をおかけしたことがありましたら申し訳ありません」
 ジスランは丁寧に腰を折った。ハンスは明らかに焦りを浮かべ、半笑いを浮かべる。
「いや、たいしたことでは無いよ。悪かったな」
 ハンスは焦った様子でそれだけ言うと、少しばかり早足で庭から出て行った。何が大した用はないだとディオンはすっとした気持ちで見守る。
 完全にハンスの姿が庭から消えるのを見送った後、ディオンはジスランに身体を向けた。
「先生、助かりました。ありがとうございます」
「いや、たいしたことはしていない」
 ジスランはおっくうそうに振り向いてぼそりと答えた。だが彼はディオンを見てふと眉を上げる。何かおかしなことがあっただろうか。ディオンは首を傾けた。
 そんなディオンに、ジスランはディオンの掌を指す。
「……その手はどうした」
「え? ああ、ちょっと練習しようと思ったら失敗しちゃって」
 ジスランはディオンの手を見ていたらしい。ディオンの手は魔法が暴走したために、黒焦げになってしまっているのだ。思わずディオンはジスランの目から隠すように、腕を組んで隠していた。
 ジスランは眉を上げたまま、ディオンに近づいてきた。そのまま隠したディオンの手を取る。
「先生?」
「そこまで深い傷じゃあ無さそうだな……。手当てしてやるから来い」
 ジスランはそれだけ告げると、ぱっとディオンの手を離した。そのままディオンに背を向けて研究室へと戻っていく。ディオンは申し訳ない気持ちを抱えつつも、僅かに頬を緩めるのだった。