冒頭より

 外から遮断されたこの部屋は、しんとしていた。
 ルーカス・ベルクマンが部屋に入ると、部屋の奥にいた人物が、ゆっくりと振り返る。
「……ルーカス?」
「うん」
 この部屋に来るまでに細い地下道を通ってきたが、地下道はどれも荒れ果てていた。石造りの壁にはいくつも亀裂が入り、床には落ちてきた石のかけらが広がっていた。少し前までは灯されていただろう、壁の明かりもずっと消えたままだ。ルーカスはここに来る時は、いつも小さなカンテラを持ってきている。
 だが、この部屋は地下道とは違って、あたたかくととのえられていた。古びた絨毯はほこりなく整えられていて、明かりが灯されている。
 部屋が作り出すあたたかさに、ルーカスは緊張していた息を自然と吐き出していた。思ったよりも緊張していたらしい。
 振り返った人物が、ゆっくりと立ち上がった。
 ルーカス達が暮らすハノーヴァ王国では珍しい東洋系の顔立ちに、華奢な体躯の少女だ。すっと切れ長の目が、ルーカスを見つめてくる。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ、サラ」
 不安そうに問いかけてきた彼女、サラ・エマールに、ルーカスは微笑みを浮かべて首を横に振った。
「そう? でも疲れてる顔をしてる」
 サラの白くうつくしい手が、そっとルーカスの頬に添えられ、ルーカスはそっと目を閉じた。
 目を閉じても、鮮やかにうつしだされるもの。
 サラの白い手の先、肩のあたりには、片翼の白い翼が生えている。
 明かりに照らされた白い羽が、くっきりとルーカスの瞼のうらに、甦るのだ。
 彼女の翼は、ルーカス達が生きる魔法学園、α・ミーミル学園が崩壊するきっかけでもあるのだった。


 ルーカスはここ、ハノーヴァ王国でも一、二を争う王立魔法学園α・ミーミル学園で、大地の魔法を学ぶ生徒だった。
 学園は少し前に、上級生を中心に学園への反乱が起き、崩壊してしまっていた。反乱は学園中に広がり、収束するまで数ヶ月掛かったのだ。その間に教師と上級生が死亡し、ルーカス達下級生もかなり命を落とすことになった。今は残った生徒達が、それぞれ火、水、風、大地の属性ごとに分かれ、寮に身を寄せて暮らしている。
 反乱と同時に何かの実験で作られたらしい魔物が校舎内を徘徊するようになり、今、残された生徒達は魔物退治に奔走することとなっている。
 ルーカスは大地の魔法グループのリーダーだ。そしてルーカスの目の前にいるサラは、全員死んだと言われる上級生の生き残りだった。
「ほら、少し座って。休んだ方が良いわ」
 サラに手を取られ、ルーカスは古びた椅子に腰掛けた。サラはどこからか毛布を持ってきて、ルーカスに掛けてくれる。
 毛布を掛けられると、さらにあたたかさが増した。今までの緊張が完全にほどけて、思わずうとうととしてしまう。
 あたたかさに思わず一瞬首ががくりと動いて、慌てて顔を上げた。サラは違う部屋に行っているようで、一瞬眠っていたさまを見られた訳ではないらしい。
 疲れている様子を見られなくて良かった、と息をつく。
 サラには、ルーカスが本当に疲れている現状を知られたく無かったのだ。この部屋で目を閉じていると、大地のグループ内で責められていることなど、忘れてしまいそうだった。
 だが、目を閉じると、大地のグループの中でせめられた言葉がいくつも浮かび上がってきた。
 なぜ、むやみに他のグループの学生を殺してしまうのか。
 数少ない「共犯者」でもあり、副リーダーでもある友人が、眉をひそめてルーカスに詰め寄ってくる。
 ルーカスは魔物退治の時、他のグループの生徒を殺してしまうことが多いことは確かだった。
 だが、何も理由もなしにそんなことをしている訳ではない。ルーカスが生徒に手を出すのは、大抵が何とかして学園の外に出ようとしている生徒だけだ。学園の秩序を守るために、ルーカスは仕方なく手を出しているのだ。
 どうして誰もわかってくれないのだろう。何もせず放置しておけば、いつか「楽園」は消え去ってしまうのに。
「ルーカス?」
 控えめに声を掛けられて、ルーカスは閉じていた瞼を開いた。目を開いた先には、サラが身を屈めるようにして、ルーカスをのぞき込んできていた。
「大丈夫? パン食べる?」
 サラは片手に、つるで編まれた籠を抱えていた。その中には、小さめの丸いパンが入っている。サラが作ったものだろう。食欲はあまり無かったが、すすめられたのに断るのも悪いと思い、手を伸ばしていた。
 パンのかけらを口に含めば、安心する甘さが広がった。もそもそとした感触が日常を取り戻させてくれる。
「ありがとう」
 パンと一緒にすすめられた紅茶を口にして、ようやく人心地つく。微笑んでサラを見上げると、サラもふわりと微笑んだ。
「ごめんね、邪魔して。何かしてるところだったんでしょう」
「いいの、時間はたくさんあるし」
 サラは近くの椅子に腰掛けた。背中の片翼がふわりと舞う。
「……何か読んでいたの?」
 サラの言葉に、ルーカスは答えることができなかった。テーブルに本が置かれていたので、思わず話をそらしてしまう。
 サラは学園内で、死んだと思われている上級生だ。おまけに彼女は、学園で秘密裏に進められていた、魔物を作り出す実験に巻き込まれていた生徒である。
 学園内で、上級生が反乱を起こした「事件」が起きた時、ルーカスは死にもの狂いでサラを実験場からひっぱりだしたのだ。
 その時に学園に広がる真実を知ったルーカスは、わずかに生き残った上級生を自らが住む寮の奥深くにかくまう事にしたのである。
 だから、サラ達は外に出ることができない。学園内に生き残った生徒は、何を知っているかも曖昧だ。そんな彼らの前に、サラを出したらどうなるかは分かりきっていることだ。
 サラは、テーブルの上に置かれていた本を手にとって、そっと差し出してきた。ざらりとした革の感触。本を受け取って題字を眺め、ルーカスは思わず驚きの声を上げていた。
「これ……」
「知ってる?」
「小さい時、よく読んだなあ」
 懐かしさがこみ上げてきて、ルーカスはそっと題字をなぞった。
「僕たちにとっては、何て言うか、憧れのお話だったんだよね」
 ぱらりとめくると、懐かしい主人公の名前が飛び込んできた。このお話は子供達が楽園を作る為に日々奮闘するお話だ。
 楽園の子供達と書かれた題名の本。ルーカスにとって、この本は理想そのものだ。
「そうなの。私は初めて読んだわ」
 サラは本を引き寄せながら呟く。サラはこの国で育ったが、小さい時は異国のひとである母の影響をかなり受けたらしいので、読んだことがないのも仕方ないのかもしれない。
「サラは、小さい頃に何を読んだの?」
「そうねぇ……、ルーカス達には珍しいものをたくさん読んだと思うわ。千夜一夜物語とか……」
 ルーカスは聞き慣れない単語に、首を傾げた。サラは小さく笑う。
「こっちの言葉だと、アラビアン・ナイトって言うのかしら、ね。本があれば良いのだけど……」
 サラはそこで顔をくもらせた。彼女は学園内でも随一の知識を持っていた。異国の知識も豊富にあり、研究室には持ってきた本を何冊か寄贈していたという。
 だが、「事件」が起きた時、その本もなくなってしまったのだ。崩壊した建物の中にあったのか、魔法によって燃えてしまったのかはわからない。
 サラのくもった顔を少しでも晴らそうと、ルーカスは背伸びする。
「サラの話でも、おもしろくてよくわかるよ。聞かせて?」
「……ええ」
 サラは困ったように笑って、なめらかに異国の本の話を始めた。柔らかくてまあるい声を聞きながら、ルーカスはそっと目を閉じる。
 サラの暮らす、この部屋の中こそが楽園なのだ。
 楽園を守るためならば、何でもする。そう決めていた。