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 華やかなひと時の夢の中、それがジル達の住処だ。
 闇が辺りを包み込む刻限。街には家からのランプの灯りのみがぼうとその道を照らし、昼とは正反対の賑やかさが、その街を包んでいく。
 精一杯めかしこみ、夜会へと出かける貴婦人。道を行き交う漆黒の馬車。笑顔の下で様々な画策が交わされるその刻限。
 その刻限に、彼等の夢は幕を開けるのだ。
「それでは、いよいよ最後のショーとなって参りました! 最後の演目はこちら! 猛獣使いとライオンのショーです!」
 布によって、円形に囲まれたその空間に、陽気な声が響き渡る。様々に照らされた灯りの中、ごてごてと奇怪な装飾をめかし込んだ男性がひとり立ち、観客の賞賛を浴びていた。
 そう、ここはこの街にやってきた、サーカス小屋だ。
「さて、行きますか。ジルにラウル、お願い」
 その円形の舞台から繋がる花道の向こうで、ゆらり、とひとりの青年が立ち上がった。優しげな声音の青年が纏うのは、黒の舞台衣装。一見すると優男な雰囲気を放っている彼は、その舞台衣装がぴりりと冷たい何かを纏わせているようにも見える。
「はいよ、任せとけって」
「先に準備してるね、ルイ兄」
 その横から二人の青年になりかけている少年達が顔を出した。片方の少年、ジルは茶目っ気たっぷりに青年――ルイ・マリタンへウインクを返し、その横で準備をしていたもうひとり少年、ラウル・アーヴァインもルイへと頷きを返す。
 そうして彼等はルイが舞台へ出る前に、舞台裏から、がらがらと大きな音を立てて鉄製の檻を運んでいくのだ。
 檻の中に入れられているのは、百獣の王、ライオンである。
 そうして円形の舞台に檻を運んでいくと、たちまち場内は様々などよめきで満たされていく。それは興味と興奮と、そして少しの怯えが混ざったようなもの。
 二人は決められた場所に檻を置くと、するりと身体を翻して花道の向こうへと駆けていく。そうして入れ替わりに向かってくるルイと、目線を交わしながら舞台裏へ戻っていった。
 二人の後ろで、不意にルイの雰囲気が変わるのが分かる。それは黒の舞台衣装に似た、冷たく、猛獣をも従える圧倒的な空気だ。
 それを感じながら二人は舞台裏へ走り込み、息をついた。先に息を整えたジルが、頬を上気させながらラウルに笑いかける。その眼差しは憧れを強く宿したものだった。
「やっぱりルイ兄はすげえな! 感じたか、あの雰囲気!」
 ジルの言葉に、普段はどちらかというとおっとりした性質のラウルも、かなり興奮した様子で頷いた。
「見た、すごいなあ! いつか僕もあんな風になりたいよ」
「ああ」
 二人は興奮した様子のまま、舞台裏に転がっている空箱を慣れた手つきで運び始めた。もうサーカスも終焉。彼らも舞台に出ているとはいえ、まだまだ下っ端の二人は、こうして片付けに奔走しているのだ。
 サーカス中はいつも慌しい。分刻みのスケジュールに、舞台への緊張。その為に、いちいち舞台裏を綺麗にすることなどは不可能に等しいのだ。
「それにしてもさ……」
「ん?」
 ようやく落ち着いてきたのか、いつもの調子に戻ったジルは、空箱をまとめて抱え上げた。そうして一度だけ、舞台へ続く道を振り返る。
「今日、やけにお客さん少なくなかったか?」
 そう言われて、ラウルも舞台へ続く道を振り返った。ジルの脳裏には、独特な色の灯りに照らされたサーカス場内がまだ焼きついている。
「今日、まだ二日目だったよな」
 そう続けながら、客席の様子をジルは思い出していたのだ。彼等はこの国でもかなり有名なサーカス団だ。その為か、毎回街を訪ねれば、少なくとも最初の一週間は満席だった筈。
 だが、今日は。客席の半分は空いていたような気がする。客はあちこちにばらけて座っているので確証は得られなかったが、それでも少なくともそれだけは空いていたのだ。
「……確かにそうかもしれないね」
 ラウルもどこか探るような所を残しながらひとつ頷いていた。
「何か……あったっけ?」
「街でってこと? いや、無かったような気がするんだけど……」
 ジルは今度は箒を取り出しながら、二日前に街を訪れた時の様子を思い出していた。確かにあの時は、自分達がこの街を訪れたという事で、街は持ちきりだった筈だ。
 自分たちへ向けられる幾つもの瞳をまだはっきりと覚えている。そこには、興味と憧れと、そしてほんの少しの疑心が浮かび上がっていた。それはいつも街を訪れる時の、街人の反応だ。
 首を捻りながらも、すっかり身に染み付いている行動を途切れる事無くこなしていくジル。サーカス小屋の床が大分綺麗になってきた頃、舞台の方から喝采が上がる声が響いてきた。
「あ、終わったかな?」
「そうだな。とりあえず、入り口に回らないと」
「ああ」
 二人はいつものように箒を片付けて、ばたばたとその舞台裏から走り出す。そうして舞台とはうって変わって、心もとない灯りがぽつぽつと僅かに地面を照らしていく中を慣れた調子で駆け抜けていた。
 丁度半周、舞台用に誂えてある円幕を回り込むと、橙色の明るい光が二人を迎え入れる。入り口からは舞台に照らされている灯りと共に、幾人もの人々が既に出てきていた。二人は入り口の両脇へずらりと並んでいる団員へと向かい、そこへ立ち並ぶ。
「よお、遅かったな二人とも」
 客に手を振りながらも、小声で二人に話しかけてきたのはシャルル・バレーヌだ。その怜悧な外見に似合うナイフ投げ。ルイと同い年で、ジル達の兄貴分のような存在でもある。
「ちょっとね」
 ラウルがにこりと笑みながら、外へ出てくるお客達にぶんぶんと両手を振っていく。サーカスの出し物が終わると同時に、手の空いている団員は入り口に集結してお見送りをする。このサーカス団のならわしのひとつだ。
 そうしてジルもラウルの隣に並びながら、お客達へ笑顔をふりまきつつ手を振っていく。わいわいと色とりどりの声を上げながら去っていくお客達は、皆ほとんどが興奮をその面に表している。
 その中で、円幕より離れた場所で手を振っていたジルは、その言葉を聞いていた。
「今日は面白かったわね」
「でもさあ……本当にこのサーカス団が不幸を呼ぶサーカス団なのかねえ」
「あんまり大声で言わないの! でも気になるわね」
 その声は、暗がりの中から聞こえてきた。だから彼が振り返って声の主を探そうとしても、幾人もの人々の背中しか見る事が出来ない。
 だがその言葉は、確かにジルの頭の中にしっかりと残っていた。いつもよりも少ない人々へ、表面上はにこやかに笑顔を見せて手を振っていたが、内心はそれどころでは無かったのだ。
「……ジル、ジル、聞いてる?」
「え……? 悪い、聞いてなかった」
 隣で手を振っていたラウルが、首を傾げながら彼の顔を覗きこんでいることに、ジルはおかげでしばらく気がつかなかった。ラウルは相変わらずきょとんと首を傾げたまま、裏舞台を指差す。
「もう僕達は引っ込んで、片付けの続きしろってシャルル兄が」
「あ、ああ……」
 ラウルはそれだけジルに告げると、くるりと踵を返して走り出したので、ジルも慌てて彼の後ろを追って走り出す。
 だが、脳内にこびりついたあの言葉は消える事は無かった。
 不幸を呼ぶサーカス団。
 一体、それはどういう事なのだろう。確かに自分たちは余所者だし、街の者からそういった扱いを受ける事も少なくない。
 だが、少なくとも今までに、そういった呼び名を付けられた事は無い筈だ。
 もしかして、二日目なのに客が少ない原因も、脳裏にこびりついたあの言葉のせいなのだろうか。
「……ジル?」
 流石にいつもと違う事に気がついたらしいラウルが、些か心配そうな表情でジルの顔を覗きこんできた。それにようやく気がついたジルは、はっと顔を上げると、その心配げな顔を見返す。
「……どうしたの、さっきからぼうっとして。どこか調子でも悪くなった?」
 ラウルの言葉に、ぶんぶんと首を横に振ると、意を決したように語り掛けた。
「なあ、ラウル……掃除しながらで良いから、聞いて欲しい事があるんだ」
「うん? 勿論良いよ」
 ラウルはきょとんと目を瞬かせて、そしてひとつ頷いた。そうして再び舞台裏に戻ってきた二人は、途中だった片付けに手を付ける。大きな机の上に乗っている幾つもの装飾品へ手を伸ばしながら、ぽつりぽつりとラウルに、先程聞いた言葉を説明する。
 ラウルは途中までは、どこか訝しげな表情を見せながら聞いていたのだが、やがてその表情は、少し暗く、そして考え込むような仕草へと変わっていた。それはおそらく、つい先程ジル自身がしていた表情に違いない。
「……それって、どういう事だろう」
 話を聞き終えたラウルは、しばらく沈黙した後、やがてそうぽつりと呟いた。
「分からない……けど」
 ジルが顔を上げた時、テントの向こう側から、誰かが上げた金切り声が響いてきた。それは、常ならば決して聞くことのないものだ。
「ッ、何だ?」
「行ってみよう」
 ジルは手に、けばけばしいホログラムが付けられたリボンを持ったまま、駆け出す。濃い闇が支配する中、テントのひとつに引っ掛けてあったランプを引っつかみ、声の所へと走っていく。
 舞台のテントを入り口から半周程した場所に、数人の団員が固まっているのが見えた。そこへ近付こうとして、ジルはその足を止める。
 頭がざわりと、嫌なものが掠めていったからだ。暗い中、彼等の近くまではランプの明かりは届かない。団員の表情は見えなかったが、それでも、彼等からは深刻な何かが漂っているように見えた。
 ぷうん、と鼻を鉄臭い匂いが掠めていく。さらに一歩、足を進めたとき、団員の中にいたらしい、シャルルがジル達の存在に気がついた。そうして、ほのかな明かりでもはっきり分かるほど、普段は無表情なその表情に焦りの色を浮かべて、こちらへ歩いてくる。
「駄目だ、こっちに来るな!」
「……シャルル兄?」
 シャルルは二人の間まで近付くと、ぐい、とふたりの体を、シャルルとは反対の方向へ押しやった。
「ッ!」
 だが、その一瞬、ジルが持つランプの灯りは、それを映し出してしまった。その異常な光景に、心臓が鷲掴みにされたように、ぎゅうと縮む。それをどこか遠い感覚で感じながらシャルルの顔を見上げた。シャルルは、ジルがそれを見たことに気がついたらしく、いつもの無表情に、眉を顰めていた。
「見ちまったか……。とにかく、これから面倒なことになるぞ」

 シャルルの向こう側には、ころん、と首のない死体がひとつ、転がっていた。