「そういえば、演習に戻ってきてから、独自に任務をこなしていたようだったな」
「ええ……」
 脳裏に、最後に会ったイーリスの顔が浮かんで消えた。任務の詳細を話すことはできない。けれども、魔女にかかわる歴史については聞くことができるだろうか。
 ベルンハルトはワインで唇を湿らせながら、考えを巡らせた。任務についてあまり深入りせず、しかし知りたいことを聞きたい。
「ちょうど部隊の手が空いていましてね。新人の演習に駆り出されたのですよ」
「なるほど」
 最近、軍が兵を増やしていることは、二人も知っている。表向きには新人の演習でもあるし、間違ったことは言っていないだろう。
「そこで面白い話を聞きましてね。せっかくですからお二人の意見もお聞きしたいのですが」
「面白い話?」
 父は首を傾げた。ベルンハルトがもったいぶった風に話を切り出すのが珍しいのだろう。
「向かったところが、魔女の伝説が色濃いところで」
「魔女か……」
 途端に叔父の表情が曇った。過去、叔父は何か魔女と関わったことがあるのだろうか。まだ騎士団が存在していた時代、そんなことがあってもおかしくはない。
「何かご存じなのですか?」
「……いや、おそらくベルと同じくらいのことしか知らないな。だが」
 今まで機嫌良く饒舌だった叔父が、初めて言葉に迷っているようだった。父も、少し表情が曇ったような気がする。
「あまり、魔女には関わらないほうが良いだろう」
 叔父が逡巡した後に告げてきた言葉は意外なもので、ベルンハルトは心の中で驚いていた。二人とも、騎士団時代の話は大好きなのだ。魔女にも騎士団が関わっていれば、愉快に話してくれるだろう、そう思っていたのである。
「何故ですか?」
「色々とな。特に、おまえの今後の為を思うなら、魔女の事には近づかない方が良い」
 酒で陽気だった叔父の目が、わずかにすうと細められたような気がした。それは一瞬で消えてしまい、いつもの陽気な叔父に戻る。
「しかし、最近の新人演習は何をやるんだ? 俺たちなんかは最初に騎士道についてたたき込まれたもんだよな」
「え? ああ、最初は座学で戦いの理論とか、武器の使い方を学ぶんですよ。それから演習じゃないですか?」
「そうなのか。まあ、そうだよな。今の絶対忠誠も悪くはないが、騎士道の精神ってのはまた違う美しさがあるよな」
 叔父の言葉に、父もどこか遠くを見ながら目を細める。騎士団時代のことを思い出しているのだろうか。
「そうだな。忠節を尽くすこと、信仰を守ること、貴婦人への献身……、今の軍はこうして見ると、無骨だなあ」
「やっぱりそうだよな」
 たちまち、その場は昔の時代へと遡る。ベルンハルトも騎士団時代の話が嫌いな訳ではない。魔女の話を聞くことができなかったのは残念だったが、少しばかり、二人につき合おう。
 ベルンハルトはグラスをわずかに傾けた。

 *

 王国裁判所にある法廷は、裁判所内でも一番の美しさを誇る場所だ。
 裁判長が座る席には、艶やかな飴色の木材で作られ、細かい装飾が彫り込まれている。傍聴席と法廷を区切る柵もまた同じ、美しい彫り物が施されていた。今の時代に作られたなら見られないであろう空間は、懐古的な美しさをも漂わせている。
 普段は一般人にも開放されている傍聴席は、この裁判では閉ざされ、まばらにしか座っていない。ここにいるのは全て、魔女狩りのことを知ることが許されたごく一部の人だ。その中にはカロッサ大佐の姿もある。忙しいのに、どうにか時間を作ったらしい。
 被告人席には、ベルンハルトが連れてきたイーリスの姿があった。目を伏せ、眠っているようにも見られるその姿には、特段何かの表情が浮かんでいる訳ではない。ここに連れてくる時も、面倒そうな素振りは見られなかった。
 イーリスを連れてきてからは、監視以外で特にやることはない。外で待っていても良かったが、裁判の行方も気になる。ベルンハルトは考えた末に端の席で、傍聴することにした。
 しばらく待っていると、裁判官や資料を持った検事などが入ってきて、それぞれの席に着いた。
 裁判が始まるのだ。ベルンハルトも法廷に意識を集中させる。
「それでは、まず被告人の名前から」
 イーリスは中央の台に立ち、ぽつぽつと名前などを答えていった。その流れはいつもの裁判と変わらないだろう。
 続いて、検事が立ち上がる。訴状を読み上げられるのだろう。
「被告人はイーリス・ブリュームである。被告人は風の月、魔女の集いに参加し、町民を誘惑して力を得るための計画を立てていた。その際に毒薬を流通させようとした。また、事前にその計画を察知した軍部に対し、暴力をふるい怪我を追わせた。これらの行為は……」
 検事によって、長々と訴状が読み上げられていく。ベルンハルトはそれらを聞きながら、どこかやりきれない思いを抱えていた。
 そもそも魔女狩り自体、まともな作戦ではないのだ。裁判もまともではないだろう。そう思ってはいたものの、実際にあることないことをこうも滔々と語られるのは、気分が良いものではない。
 イーリスも取り調べの段階である程度予測していたのか、あれこれと訴状をでっち上げられても声を上げたり体を大きく動かしたりすることはなかった。ただ、時々不愉快そうに体が揺れる。細い背中から、不愉快だという気持ちが溢れ出ているようにも見えた。
「……そりゃあそうだよな」
 誰にも聞こえないくらいの小さな声で、思わずぽつりと呟いていた。
 魔女狩り、魔女裁判は、まだかつて教会が大きな力を持っていた頃、市民の娯楽の一部のように、大がかりに行われていたのだ。技巧を凝らした拷問など、凄惨でありながらも、日々軋轢を受けて暮らしていた人々にとっては、一種の気晴らしになったことだろう。
 そしてその裁判が、まともに行われなかったこともまた、確かなことなのだろう。今になって、叔父や父が言葉を濁したことが、何となく分かったような気がした。
「以上で訴状を終わります」
 検察官は長々と法律のどんな罪にあたるのか、読み上げていた。まああれだけのことで、ここまで出てくるのかというほどには出てきたものだ。
「では、次に黙秘権の告知を」
 裁判官はそう告げて、形式通り、不利になるようなことを言わなくても構わないと告げる。被告人を守るための権利なのだろうが、果たして今回の裁判で、どこまでこの権利がイーリスを守ってくれるのか、気になるところだ。
 今日の裁判は、日程を決めたりする部分が主要で、このあたりで終わりそうだった。皆がそれぞれの日程を調整している。ベルンハルトはちらりと、斜め前に座っているカロッサ大佐の後ろ姿に目を向けた。悠々と軍服を着込んだ彼の背中からは、何の感情も読み取ることができない。
 だが、なんとなく不穏な気配をベルンハルトは感じていたのだった。


「それでは、閉廷します」
 その言葉を最後に、最初の魔女裁判は終わりを告げた。裁判官達が次々に席を立つ中、ベルンハルトもイーリスを送り届けるために立ち上がる。そんなベルンハルトの前で、カロッサ大佐は優雅に立って外へと出ようとしていた。だが、扉の前で僅かに立ち止まり、ベルンハルトへ目を向けてきたのだ。何となく彼の姿を目で追っていたベルンハルトは、思わずぴしりと体が固まる。
 彼は、うっすらと笑いを浮かべていたのだ。
 それはこの裁判を面白がっているような笑みではなく、もっとなにかを含んだように、冷たさのある笑み。
 カロッサ大佐がベルンハルトを見ていたのは一瞬で、彼はすぐに扉の向こうへと消えていってしまう。扉の向こうへカロッサ大佐が消えて、ようやくベルンハルトも動くことができた。ぎこちなく手足を動かして、イーリスの下へと向かう。
「……どうしたの」
 イーリスは既に退廷の準備を終えていた。ベルンハルトを訝しげに見上げてくる。やはり、ベルンハルトの動きがおかしいらしい。
「いや」
 意識して、小さくそれだけ返すと、ベルンハルトはイーリスを促した。被告人が通る別の入り口から外に出る。
 イーリスは未だ、軍本部の中に用意された独房で過ごしていた。ここまで特別待遇なのも珍しい。やはり何かあるのは間違いないだろう。
 二人は黙ったまま、軍の本部まで戻った。本部庁舎の裏まできて、ようやく口を開く。否、そこまででないと口を開けないというのが正しいだろう。それ以外の場所では、人目があるので何を聞かれるのか分からない。どんな会話でも、お互いの不利に繋がる可能性は残っているのだ。
「どうだった、今日の裁判は」
「どうもこうも。ここまで勝手に進められるんじゃあね。呆れて声も出ないわ」
 イーリスは前を歩きながら、ため息をついた。裁判の行方に、早くも辟易しているようだ。
「そうだろうな。しかし一体、どんな裏があるのか……」
 ベルンハルトは軍帽のつばを掴んで、小さく呟いた。王国で行われている裁判に何の意味があるのか、誰が主犯なのか、未だにはっきり掴めない。調べてはいるのだが、ベルンハルトに課せられている任務自体も秘匿されている部分があるため、大きく動けない。万が一カロッサ大佐に動向を捕まれたら、降格処分や最悪殺されることもあるだろう。
「どんな利用価値があるのかさっぱり分からないわ、私にはね。薬草作りも苦手だし」
 イーリスは、一応代々薬作りなどをも受け継いでいるらしいのだが、普段は作らないらしい。かといって何をしているのか、と聞いてもそこは口を閉ざしてしまう。
「誘惑も無理だしな」
「うるさいわね」
 色目を使って誰かを落とす、そんな行為もイーリスには難しいだろう。それはベルンハルトも最初に彼女と会ってすぐに分かったことだ。
「まあ、そうだな。顔は悪くないから、あとはせめてもう少し食って肉を付けたほうが良いだろうな」
「今更付けてどうするのよ。本当に気遣いってものができない奴ね。堅物でそんなんじゃあ、せっかくの美丈夫も台無しね」
「良いんだよ、別に。大事なひとにはちゃんと気遣うさ」
 彼女の容赦ない物言いは、すがすがしくさえ感じられて面白かった。婚約者のアンジェとは正反対の性格だ。アンジェと共に過ごすときの、あの穏やかで癒されるような感覚とはほど遠いが、どこかすっきりとした感覚を覚えるのも確かだ。
 さらにイーリスが言い返してくるかと思っていたのだが、予想に反して、彼女はどこか驚いたかのような表情でこちらを見上げてきた。